2007年1月 8日 (月)

新年好!

新年あけましておめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。

当ページ、昨年末は諸事情により、更新が滞り失礼しましたが、本年もあせらず
少しずつ更新してまいりたいと思います。
時々のぞいて頂ければうれしく思います。

(湯豆腐)

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2006年12月 7日 (木)

続コラム その2・文化大革命 中(通算27回)

前回の続きです。
ここは続きとして私の「文革」体験談を書きたいところですが、私は「文革」の歴史の嵐の中を生き抜いたわけではありませんので、「文革」の体験談は書けません。
そこで、本を一冊ご紹介申し上げたいと思います。

「上海の長い夜(LIFE AND DEATH IN SHANGHAI) 上下巻・
鄭念(チェン4ニエン4)著 篠原成子、吉本晋一郎訳 原書房」

同書は、鄭念という中国人女性の1966年から1980年中国を離れアメリカに渡るまでの14年間に著者及びその友人に訪れた「不幸」を描いた「文革」体験談です。
鄭念は1966年春まで、シェル石油上海総支配人のアシスタントをしていた、当時の中国の上流階級に属すると思われるご婦人です。
物語は1966年7月「文革」前夜の上海から始まります。
鄭念51才。
物語の舞台は上海であり、上海の有名な建造物名、市井の人々の息づかいを表現した場面などが出てくると、留学等で上海をおとずれた事のある人間は、それだけでうれしくなってしまいます。同書の中に著者の当時の居住地住所に関する記述はありませんが、想像するにどうやら「淮海路」付近に住まわれていたように思われます。

同書の中にも説明する記述が出てきますが、「文革」中は地主、富農、反革命分子、悪人、右派分子、裏切り者、スパイ(特務)、敵の手先、知識人等九種類に分類された人間が批判の対象にされました。著者は、仕事等の関係から外国との関わり合いが多かったため「スパイ」との嫌疑をかけられ、投獄されたようです。
話は少し横道にそれますが、「文革」中に共産党より批判された九種類の人間の中に「知識人」が入っているのは面白いところです。「知識人はえてして傲慢であり、自分のすぐれた知識や教育を自慢している。」毛沢東等の指示に基づき、当時の中国では、本心はともかくこうゆうふうにとらえる事が、社会の常識とされていました。中国語で言うと、「臭老九(チョウ4ラオ3ジィウ3)九番目のはなつまみ者(知識人、読書階級の事)」などと蔑称されていました。

今でも中国の読書階級(インテリ)は、共産党よりある面煙たがれる存在であり(共産党の中国には今でも政治的発言の自由等はありません)、「文革」中に使われた「臭老九」などという言葉を自潮気味に自らに冠し、卑下して見せたりするような所があるように思われます。

また、「文革」当時の中国では同じような理由から医者なども人々の尊敬を集めるような職業ではありませんでした。同書の中にもそんな場面が出てきます。
上海の第一拘置所に収監され半年になろうとする頃、迫害から体調を崩した著者の前にそんなお医者様が現れます。「泳ぎの中で、泳ぎを覚える」等という、毛沢東の「経験」・「知識」を無視した無謀な指示・政策により養成された「医者の仕事をする事によって、医者の仕事を覚える」式のお医者様でした。中国語では当時「赤脚医生(チー4ジャオ3イー1サン1)はだしの医者」等と呼ばれていたようです。ではその頃、「本物のお医者様は何処に行ってしまっていたの?」というと、肉体労働による労働者意識の再教育のため、中国の僻地に「下放(シャー4ファン4)かほう」されてしまっていたようです。

話しが長くなってきましたので、そろそろおしまいにしたいと思いますが、私にはそんな力量はありませんので深入りは避けますが、「中国の歴史の中での知識人(インテリ)の社会的立場の変遷」「日本と中国の職業意識の違い」等は研究するのに面白いテーマではないでしょうか。中国のお医者様は今でも人々の尊敬を集めるような1ランク上の職業では無い様に思われます。

物語の方ですが、著者は「資本主義的な感覚も身に付けた」中国人である様に思われ、われわれから見れば、ある意味「常識人」であるように思われます。そういった著者が、「文革」という「無法・無秩序」の中に投げ込まれ、「常識的」な目から「文革」をながめていきます。われわれは著者の文章を読む事により「文革」を体感できます。また、読んでいるとだんだん著者が好ましい「人物」に思えてきます。
中国に興味がある方でまだ読まれていない方は、ご一読をお薦めします。

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今回関連用語の中国語訳(普通話)
「臭老九(チョウ4ラオ3ジィウ3)九番目のはなつまみ者(知識人、読書階級の事)」
「赤脚医生(チー4ジャオ3イー1サン1)はだしの医者」
「下放(シャー4ファン4)かほう(文革中、都市のインテリ等思想的に好ましくない人物を農業等の肉体労働に従事させる事によって再教育を行うという目的で中国の僻地に派遣する事)」

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(続コラムその3・文化大革命 下 に続きます)

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2006年11月24日 (金)

続コラム その1・文化大革命 上(通算26回)

少しご無沙汰しておりました。
長野は早、雪の季節の入り口にさしかかろうとしております。
浅間山はすでに真っ白です。
今回より少し中国の「文化大革命」について触れてみたいと思います。

中国の「文化大革命」、すでに良く御存知の方もいらっしゃると思います。
百科事典等によりますと「中国の「文化大革命」は、1960年代後半から1970年代前半まで続いた毛沢東らが引き起こした権力闘争を言う。」等となっています。
日本でいうと「高度経済成長」後半、中国でいうと現在60歳台の人が20歳の頃の出来事という事になるでしょうか。まだ、それほど大昔の出来事というわけではありません。

内容としては、引き続き百科事典を見ると、「(文化大革命は、)はじめ毛沢東指示のもと、劉少奇からの政権奪権を目的として林彪の主導により進められた。林彪の事故死後は四人組に率いられて毛沢東思想に基づく独自の社会主義国家建設を目指したが、実質は中国共産党指導部における大規模な権力闘争であった。共産党指導部に煽動された暴力的な大衆運動によって、当初は事業家などの資本家層が、さらに学者、医者などの知識人等が弾圧の対象となった。しかしその後弾圧の対象は中国共産党員にも及び、多くの人材や文化財などが被害を受けた。期間中の行方不明者を含めた虐殺数は最低2000万人と言われる」となっています。
毛沢東という、たった1人の人間の「欲望」を背景とした空前絶後の「人災」でありました。

「文化大革命」中は、それ以前の中国にはあった、さまざまなものが破壊し尽くされました。
「文化大革命」前まで中国人が持っていた「礼節」もこのときに破壊されたといわれているように私は聞いています。
「道端にタンを吐き、やたらに物を捨て、信号を守らない人民。」
このような世界に有名な現代中国人は、そのような事が正しいと教えた「文革」という不幸な時代があったためにできあがっものだと私は考えています。

1980年代私は中国に留学していますが、「ピン」とアトムのような寝癖をつけたまま生徒の前に現れた中国人の先生を見た時には、カルチャーショックを受けたものです。
関係無い外国人にとっては、漫画の中の出来事のようにも感じます。
でもきっと、笑い事ではないのでしょう。

「文化大革命」は、「文革世代」の高齢化に伴い、少しずつ風化しているのかもしれません。しかし、現代中国並びに現代中国人の行動様式を理解する上では、是非、頭に入れておくべき重要な事柄だと思います。

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今回関連用語の中国語訳(普通話)
「文化大革命/十年動乱
(ウェン2ホア4ダー4ガー2ミン4/シー2ニェン2ドン4ルアン4)
文化大革命」 

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続コラムその2・文化大革命 中 に続きます)

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2006年11月14日 (火)

ビジネス中国語 その5・接待Part2(通算25回)

中国の方と付き合うと、時に日本に関するさまざまな質問に出会うことがあるでしょう。中国の方は日本の物に関する関心が高く、ものによっては日本人より良くご存知だったりします。
一昔前は、日本の家電は何処が優秀か?日本では自家用車がいくらで手に入る?等という事が良く話題に上りました。

中国にも情はありますが、意外に現実主義的な方が多いように感じます。
数字で回答を求められるような質問も多いと思います。
以下の様なデータを覚えておくと、中国の方との会話の際、重宝するかもしれません。

富士山 日本最高峰 高さ  3,776m
浅間山           2,568m
東京タワーの高さ       333m
標準時電波塔の高さ 福島 250m 九州 200m 
千曲川(信濃川) 日本で一番長い川 全長 367km

東京の人口 1,267万人
長野県の人口 218万人
長野市の人口 38万人
佐久市の人口 10万人
御代田町の人口 1万4千人
中野市の人口 4万7千人
北京の人口  1,160万人
上海の人口  1,360万人
広州の人口   713万人
梧州市の人口  300万人
香港の人口   694万人
黄河 全長 5,464km
長江 全長 6,380km

ギネスブック 吉尼斯大全(ジー2ニー2スー1ダー4チュアン2)

続コラムその1に続きます

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2006年11月 1日 (水)

香港よもやまばなし その6・養生訓・下(通算24回)

さて、前置きが長くなりましたが、本題に入りたいと思います。
読書に関し、たまには古典を読んでみるのもいいものです。

古典は長い年月人々の取捨選択に耐えてきたことから、読む価値のあるものが多いはずです。最近読んで面白かったものを一冊ご紹介します。

「貝原益軒 養生訓」 松田道雄訳 中公文庫

貝原益軒は、江戸時代元禄の頃の人物。儒学者です。
同文庫本のカバーによりますと、貝原益軒の「養生訓」は、「八十過ぎまで長年実践してきた健康法を万人のために丹念に書きとめた、益軒の身体的自叙伝ともいうべきものである」と紹介されています。
しかし、実際に読んでみると同書は単なる健康法の紹介にとどまらず、「いかに生きるべきか」といった益軒の哲学的主張といった趣を呈しています。ここらあたりの面白さが、長年にわたり多くの人に読み継がれてきたゆえんでしょうか。
また、古典というと非常に読みづらいというイメージがありますが、同書については、訳が良いのでしょう。非常に平明な日本語でつづられており読みやすいです。
それでは、益軒先生の「養生訓」より1節ご紹介申し上げます。

「養生の術は、まず自分のからだをそこなう物を遠ざけることである。からだをそこなう物は内欲と外邪とである。内欲というのは、飲食の欲、好色の欲、眠りの欲、しゃべりまくりたい欲と、喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の七情の欲のこと。
外邪とは天の四気である。風・寒・暑・湿の事である。
内欲をこらえて少なくし、外邪をおそれて防ぐのである。
こうすれば元気をそこなわず病気にならずに天寿を保つだろう。

およそ養生の道は、内欲をがまんするのを根本とする。
この根本をしっかりやれば、元気が強くなって外邪もおかしてこない。元気が弱いと外邪に負けやすくなり、大病となって天寿を保てない。
内欲をがまんするのに大事なのは、飲食を適量にして飲み過ぎ食い過ぎをしないことだ。脾胃をきずつけ、病気をおこすものは食べない。色欲を慎んで精力を惜しみ、寝るべきでない時に寝ない。長時間眠ることを戒め、楽だからといって長く座っていないで時々からだを動かし、気の循環をよくしなければいけない。
ことに食後には、かならず数百歩歩くことである。もし長い間楽な姿勢で座っていたり、また食後にじっとしていたり、午睡をしたり、食べたものがまだ消化していないのに早く床にはいって眠ってしまったりすると、体の中に停滞がおこって病気になり、いつまでもくりかえしていると、元気ができてこないで弱くなる。
ふだんから元気をへらすことを惜しんで、言葉を少なくし、七情をほどほどにするが良い。七情のなかでも、とりわけ怒り・悲しみ・憂い・思いを少なくすることである。欲を抑え、心を平らかにし、気を和(やわ)らかにして荒くせず、静かにしてさわがせず、こころはつねに和楽でなければならぬ。憂いを苦しんではならぬ。
これみな内欲をがまんして元気を養う道である。
また風・寒・暑・湿の外邪を防いでまけないようにする。
これら内外のいろいろの用心は養生の大事な項目である。これをよく用心して守らなければならぬ。」

どうですか。面白くないですか?
私はこの本より影響を受け、食後の散歩を始めました。
皆様のご健康をお祈りいたします。

ビジネス中国語その5に続きます

Book 養生訓

著者:松田 道雄,貝原 益軒
販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年10月16日 (月)

香港よもやまばなし その6・養生訓・上(通算23回)

余暇をどのように過ごされていますか。

余暇は無く、休日も仕事?

それもいいでしょう。

でも、「釣りバカ日誌」のハマちゃんのように仕事より大切な趣味をお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。

香港・中国等に転勤になると、(残業が多い方もいらっしゃるかもしれませんが)テレビを見る時間が減る分、手持ち無沙汰になる時間が突然増えます。

こんな時間を「香港よもやま話 その5」でご紹介申し上げましたような場所に行ってつぶすのも一興です。ゴルフが好きな方は、ゴルフにも行かれることでしょう。

しかし、毎日というわけにもいきません。安全の問題もありますし、お金も続きません。

それでは暇になった時間をどのように過ごしましょうか?

お酒・料理が好きな方は、市場に行って材料を買い、自分で料理をし、お酒を飲むのもいいですね。中国の市場の材料、中国のお酒、いろいろな発見もあることでしょう。「人生の楽しみ方」人それぞれです。

私の場合は、「読書」でした。

香港では、日本の雑誌、書籍などは贅沢を言わなければ、割合簡単に手に入ります

他の楽しみに比べれば経済的だと思いますが、香港にいた頃の私にとって日本の雑誌、書籍などを読むことは「贅沢な楽しみ」でした。

私は、日本にいた頃から本をよく読むほうでしたが、それには偏りがありました。

香港に行ってからは、手持ち無沙汰の時間が増えた分、実用書を含め日頃読まない本、よく読む作家でも敬遠していた長編ものを読む時間が大量にでき、挑戦しました。

私は歴史ものが好きなのですが、日本にいた頃は「池波正太郎もの」は肌が会わないような気がして全く読んでいませんでした。しかし、香港にいる間に「鬼平犯科帳」シリーズをはじめとして、「剣客商売」シリーズ、「藤枝梅安」シリーズ、その他短編ものを含め、暇に任せて「池波正太郎もの」をかなり読破しました。

池波正太郎の小説には、「人間は良い事をしている影で悪いことをし、悪い事をしている影で、良いことをしている場合がある。」というようなテーマがよく登場します。一筋縄でいかない人間というものを描こうとしているように感じられます。まあ、それほど難しく考えないでも、娯楽本としても手軽に読めます。また、長野県の人間なら、「真田太平記」を読むのも必須かもしれません。(しかし、ごめんなさい。私はまだ読んでいません。)

その頃読んだ本の中からお勧め本を一冊紹介します。

坂の上の雲(文春文庫全8冊)」司馬遼太郎著

日露戦争で活躍した秋山兄弟を中心にストーリーが展開し、日露戦争に日本がなぜ勝つことができたのかといったストーリー仕立てになっています。秋山兄弟という聞きなれない実在の人物が主人公のため、途中で読むことを挫折してしまいそうになりますが、秋山兄弟以外にもさまざまな登場人物が登場し、それぞれの人物評が非常に面白く、私の中で今日に至るまで、人物評価に関する参考資料になっています。最近、雑誌に同種のテーマを扱った漫画なども連載されていますが、断然こちらの方が面白いです。歴史に興味のある方、無い方、お時間のある方、無い方、ご一読お勧めです。

香港よもやまばなし その6・養生訓・下に続きます

坂の上の雲〈1〉 坂の上の雲〈1〉

著者:司馬 遼太郎
販売元:文藝春秋
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坂の上の雲〈2〉 坂の上の雲〈2〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈3〉 坂の上の雲〈3〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈4〉 坂の上の雲〈4〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈5〉 坂の上の雲〈5〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈6〉 坂の上の雲〈6〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈7〉 坂の上の雲〈7〉

著者:司馬 遼太郎
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坂の上の雲〈8〉 坂の上の雲〈8〉

著者:司馬 遼太郎
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2006年9月16日 (土)

コラム その3・七夕 (通算15回)

日本の梅雨も末期となりました。
数日蒸し暑い日が続いたかと思うと、連日の大雨です。
空に星は見えませんが、今回は皆様に涼やかな星空をお届けできればと思います。
(中国語で「涼しい」は、「凉快(リャンクワイ)」)

「(日本の)たなばたさまの物語」
「 むかし、天の川のほとりに、織女(おりひめ)という機織(はたおり)の上手な美女が住んでいました。
この娘は天帝の自慢の娘でした。
しかしあまりに仕事熱心で年頃になっても化粧もせずに仕事ばかりしていたため、可哀想に思った天帝は、天の川の向こうに住む農耕に熱心な牽牛(けんぎゅう)という青年が似合いと考え、婿に迎えてやりました。
ところが、それからというもの、二人は仲が良すぎて仕事を怠けるようになってしまいました。
天帝が注意をしてみても一向に効き目がなく改めようとせず、ついに怒った天帝は牽牛を織女から引き離し、天の川の対岸に追放してしまいました。
ですが二人があまりにも悲しむので天帝もかわいそうに思い、1年に1度だけ「かささぎ」という鳥の案内で二人を出会えるようにしてあげました。
しかし、その日に雨が降ると天の川に水かさが増し、「かささぎ」が二人を案内することができず、二人は会うことができないのです。 」

こんな感じの話が、多分ポピュラーな(?)日本の「七夕」の物語かと思います。

「(中国の)七夕伝説」(少し長くなりますが、)

「昔々、南陽城西牛家庄に賢く、正直で温厚な若者がいた。
両親は早くに亡くなり、兄嫁といっしょに暮らしていた。兄嫁の馬氏は残忍な性格人で、いつも彼を虐待し、こき使っていた。
ある年の秋、兄嫁は彼に牛を放してくるように言って、9頭の牛を押し付けた。そして10頭になるまで帰ってくるな、と言った。
牛郎はしかたなく牛を追って村を出た。

牛郎は草深く木の生い茂った山で、木の下に座っていると悲しくなった。
このとき、白髪白ひげの老人が彼の目の前に現れ、どうしてそんなに悲しんでいるのかとたずねた。
彼の境遇を知ると、笑って言った。
「悲しまなくても大丈夫。伏牛山に1頭病気の牛がおる。しっかりエサをやって病気が治ってから家に連れて行けばよい。」

牛郎は山を越え谷を越えて、やっとその病気の牛を探し出した。
牛の病気がひどいので、老牛に一束ずつ草をくくってやり、3日食べさせ続けると、老牛は腹いっぱいになった。
そしてやっと顔を上げ、こう彼に言った。「私は天界の灰牛大仙だったのだ。しかし天の掟を破って下界に下され、倒れて脚をくじいて動けなくなった。私の傷は百花の露で1ヶ月洗わないと治らない。」
牛郎は困難を恐れず、細心の注意を払って1ヶ月間老牛の面倒をみた。
昼間は老牛のために花を摘んで露を取り傷を治した。夜になると老牛のそばに寄り添って寝た。
老牛の病気がよくなると、牛郎はとても喜び、10頭の牛を連れて家へ帰った。

家に着くと、兄嫁に相変わらず嫌がらせをされた。何度か危害を加えられそうになったこともあったが、老牛の知恵によって助けられた。
兄嫁はついに怒り心頭に達し牛郎を家から追い出した。牛郎はあの老牛だけを連れて出て行った。

ある日、天界の織女が他の仙女たちといっしょに下界に遊びに来て、河で水浴びをしていた。
牛郎は老牛の手助けで織女と知り合い、ふたりの間に愛が芽生えた。その後織女はこっそり天から降りて、人間界で牛郎の妻となった。
織女は天界から持って来た天蚕をみんなに配ったり、養蚕、糸繰り、光り輝く絹織物を織り方を教えたりした。

牛郎と織女が結婚してからは、男は耕し女は織り、深い愛情を育み、一男一女の子供をもうけ、家族はとても幸せに暮らした。
しかしよいことは長続きしないもので、このことは天帝に知られるところとなった。
西王母が自ら下界に下りて来て、無理やり織女を天界に連れ戻し、仲むつまじい夫婦は離れ離れにされてしまった。

牛郎は天界へ昇ることができなかった。しかし老牛が、自分の死後、皮をはいで靴を作るように。それをはけば天に昇ることができる、と教えてくれた。
そう言うと牛は石に頭をぶつけて死んでしまった。
牛郎は老牛の話のとおりにし、牛革の靴をはいて息子と娘を連れて雲に乗って天へ昇り、織女の後を追った。
もう少しで追いつくというときのことだった。なんということか、西王母が髪の金かんざしを抜いてひと振りすると、大波が逆巻く天の川が出現したのだ。
牛郎と織女は両岸に別れ別れにされ、見詰め合って涙を流すだけだった。
ふたりの忠実な愛はカササギを感動させた。千羽万羽のカササギが飛んで来てカササギの橋を作った。
カササギの橋を渡って牛郎と織女は再び会うことができた。西王母もこれはしかたがないと思い、ふたりに毎年7月7日にカササギの橋を渡って会うことを許した。 」

「七夕の伝説・風習」はもともと中国から始まったもので、2000年前には既に成立していたようです。
東南アジア、朝鮮半島、中国、日本など広範囲に流布し、さまざまなバリエーションの物語が存在するようです。
(私も今回何がオリジナルの物語なのか探すのに大変苦労しました。しかし、2000年以上にわたりアジアを中心に語り継がれている伝承物語のようですので、定型はないのかも知れません。)
日本には、奈良時代ごろ宮中に伝わり、江戸時代に民間に広がったようです。
上記でおわかりのように日本の「七夕」の物語は、「勤勉」を教訓とした、日本人好みのロマンティックな物語に変化しています。

中国の「七夕」に、笹に飾り付けをするというような「風習」はないようですが、「大河によりひきさかれ、1年に1度(旧暦7月7日)にしか会えなくなる」という物語のエンディングは一緒です。
中国の人にも「七夕(チーシー)」「牛郎和织女的故事(ニュウラン・ホー・ジィーニュイ・ダ・グーシー)」などと言えば、わかりあえます。
雑談の「話題」として如何でしょうか。

さらに詳しくお読みになりたい方はこちら等をどうぞ。
http://allabout.co.jp/family/seasonalevent/subject/msubsub_tanabata.htm

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今回関連用語の中国語訳
「牛郎(ニュウラン)」 牛飼い(牽牛、彦星)
「织女(ジィーニュイ)」 織姫
「故事(グーシー)」 物語
「喜鹊(シーチウェ)」 カササギ
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(コラム その3 おわり)

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2006年9月 9日 (土)

工場中国語 その2・中国の祝日 (通算8回)

中国にもゴールデンウィークはあります。
中国語では、「黄金周(ホアンジンジョウ)」と言います。
(直訳すると黄金週間、すなわちゴールデンウィークです)

2006年の現在、中国には主に四つの長期休暇があります。

元旦(ユアンダン):1月1日
(最低12月31日と1月1日がお休みとなり、今年は土日が重なったため、最長4連休となったようです。)

春節(チュンジエ):いわゆる旧正月
(中国では、一般に太陽暦の正月ではなく、旧正月を祝います。個人差があるかと思いますが、一般に1週間程度のお休みのようです。)

労働節(ラオドンジエ):メーデー(5月1日)
法定休日は5月1日より3日まで。
メーデー(5月1日)から始まる最長1週間ぐらいの休みが、中国で最近「ゴールデンウィーク」と呼ばれています。
ゴールデンウィーク」という呼称は、日本から学んだものと思われます。(「ゴールデンウイーク」の語源が気になられる方はこちら等をご参照ください。

http://gogen-allguide.com/ko/goldenweek.html

国慶節(グオチンジエ):中華人民共和国建国記念日です。
(10月1日より3日までが、法定休日とされており、最近は最長1週間程度のお休みがあるようです)

中国も90年代以前は今ほど長いお休みは多くなく、春節(旧正月)のお休みぐらいでした。今のような、長いお休みの習慣が始まったのは、2000年ぐらいからです。

鄧小平が1978年より始めた中国の「改革開放政策」が、ある程度の成功を収め、一部の人民に余裕が出てきたため、休みを増やし、国内消費を高める狙いがあるのかもしれません。《難しい話はやめましょう。(^_^ ; 》

さて本題に入ろうかと思いますが、すでに長文になってしまったようです。
本題は、次回と致します。

皆様、良い休日をお過ごしください。

「希望大家过好的休息日。(シーワンダージャーグオハオダシューシーリュイ)」

(工場中国語 その2 おわり)

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