コラム その3・七夕 (通算15回)
日本の梅雨も末期となりました。
数日蒸し暑い日が続いたかと思うと、連日の大雨です。
空に星は見えませんが、今回は皆様に涼やかな星空をお届けできればと思います。
(中国語で「涼しい」は、「凉快(リャンクワイ)」)
「(日本の)たなばたさまの物語」
「 むかし、天の川のほとりに、織女(おりひめ)という機織(はたおり)の上手な美女が住んでいました。
この娘は天帝の自慢の娘でした。
しかしあまりに仕事熱心で年頃になっても化粧もせずに仕事ばかりしていたため、可哀想に思った天帝は、天の川の向こうに住む農耕に熱心な牽牛(けんぎゅう)という青年が似合いと考え、婿に迎えてやりました。
ところが、それからというもの、二人は仲が良すぎて仕事を怠けるようになってしまいました。
天帝が注意をしてみても一向に効き目がなく改めようとせず、ついに怒った天帝は牽牛を織女から引き離し、天の川の対岸に追放してしまいました。
ですが二人があまりにも悲しむので天帝もかわいそうに思い、1年に1度だけ「かささぎ」という鳥の案内で二人を出会えるようにしてあげました。
しかし、その日に雨が降ると天の川に水かさが増し、「かささぎ」が二人を案内することができず、二人は会うことができないのです。 」
こんな感じの話が、多分ポピュラーな(?)日本の「七夕」の物語かと思います。
「(中国の)七夕伝説」(少し長くなりますが、)
「昔々、南陽城西牛家庄に賢く、正直で温厚な若者がいた。
両親は早くに亡くなり、兄嫁といっしょに暮らしていた。兄嫁の馬氏は残忍な性格人で、いつも彼を虐待し、こき使っていた。
ある年の秋、兄嫁は彼に牛を放してくるように言って、9頭の牛を押し付けた。そして10頭になるまで帰ってくるな、と言った。
牛郎はしかたなく牛を追って村を出た。
牛郎は草深く木の生い茂った山で、木の下に座っていると悲しくなった。
このとき、白髪白ひげの老人が彼の目の前に現れ、どうしてそんなに悲しんでいるのかとたずねた。
彼の境遇を知ると、笑って言った。
「悲しまなくても大丈夫。伏牛山に1頭病気の牛がおる。しっかりエサをやって病気が治ってから家に連れて行けばよい。」
牛郎は山を越え谷を越えて、やっとその病気の牛を探し出した。
牛の病気がひどいので、老牛に一束ずつ草をくくってやり、3日食べさせ続けると、老牛は腹いっぱいになった。
そしてやっと顔を上げ、こう彼に言った。「私は天界の灰牛大仙だったのだ。しかし天の掟を破って下界に下され、倒れて脚をくじいて動けなくなった。私の傷は百花の露で1ヶ月洗わないと治らない。」
牛郎は困難を恐れず、細心の注意を払って1ヶ月間老牛の面倒をみた。
昼間は老牛のために花を摘んで露を取り傷を治した。夜になると老牛のそばに寄り添って寝た。
老牛の病気がよくなると、牛郎はとても喜び、10頭の牛を連れて家へ帰った。
家に着くと、兄嫁に相変わらず嫌がらせをされた。何度か危害を加えられそうになったこともあったが、老牛の知恵によって助けられた。
兄嫁はついに怒り心頭に達し牛郎を家から追い出した。牛郎はあの老牛だけを連れて出て行った。
ある日、天界の織女が他の仙女たちといっしょに下界に遊びに来て、河で水浴びをしていた。
牛郎は老牛の手助けで織女と知り合い、ふたりの間に愛が芽生えた。その後織女はこっそり天から降りて、人間界で牛郎の妻となった。
織女は天界から持って来た天蚕をみんなに配ったり、養蚕、糸繰り、光り輝く絹織物を織り方を教えたりした。
牛郎と織女が結婚してからは、男は耕し女は織り、深い愛情を育み、一男一女の子供をもうけ、家族はとても幸せに暮らした。
しかしよいことは長続きしないもので、このことは天帝に知られるところとなった。
西王母が自ら下界に下りて来て、無理やり織女を天界に連れ戻し、仲むつまじい夫婦は離れ離れにされてしまった。
牛郎は天界へ昇ることができなかった。しかし老牛が、自分の死後、皮をはいで靴を作るように。それをはけば天に昇ることができる、と教えてくれた。
そう言うと牛は石に頭をぶつけて死んでしまった。
牛郎は老牛の話のとおりにし、牛革の靴をはいて息子と娘を連れて雲に乗って天へ昇り、織女の後を追った。
もう少しで追いつくというときのことだった。なんということか、西王母が髪の金かんざしを抜いてひと振りすると、大波が逆巻く天の川が出現したのだ。
牛郎と織女は両岸に別れ別れにされ、見詰め合って涙を流すだけだった。
ふたりの忠実な愛はカササギを感動させた。千羽万羽のカササギが飛んで来てカササギの橋を作った。
カササギの橋を渡って牛郎と織女は再び会うことができた。西王母もこれはしかたがないと思い、ふたりに毎年7月7日にカササギの橋を渡って会うことを許した。 」
「七夕の伝説・風習」はもともと中国から始まったもので、2000年前には既に成立していたようです。
東南アジア、朝鮮半島、中国、日本など広範囲に流布し、さまざまなバリエーションの物語が存在するようです。
(私も今回何がオリジナルの物語なのか探すのに大変苦労しました。しかし、2000年以上にわたりアジアを中心に語り継がれている伝承物語のようですので、定型はないのかも知れません。)
日本には、奈良時代ごろ宮中に伝わり、江戸時代に民間に広がったようです。
上記でおわかりのように日本の「七夕」の物語は、「勤勉」を教訓とした、日本人好みのロマンティックな物語に変化しています。
中国の「七夕」に、笹に飾り付けをするというような「風習」はないようですが、「大河によりひきさかれ、1年に1度(旧暦7月7日)にしか会えなくなる」という物語のエンディングは一緒です。
中国の人にも「七夕(チーシー)」「牛郎和织女的故事(ニュウラン・ホー・ジィーニュイ・ダ・グーシー)」などと言えば、わかりあえます。
雑談の「話題」として如何でしょうか。
さらに詳しくお読みになりたい方はこちら等をどうぞ。
http://allabout.co.jp/family/seasonalevent/subject/msubsub_tanabata.htm
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今回関連用語の中国語訳
「牛郎(ニュウラン)」 牛飼い(牽牛、彦星)
「织女(ジィーニュイ)」 織姫
「故事(グーシー)」 物語
「喜鹊(シーチウェ)」 カササギ
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(コラム その3 おわり)
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